輸血について

2015/06/27 0

JW クリスチャン 教理 輸血

t f B! P L

輸血の危険性

血に関する宗教的意義は別にして、輸血は極めて危険な医療行為と考える必要があります。

医療行為は何でもOKとみなすべきではありません。
虫歯の治療に用いられていたアマルガムは、水銀や銅の溶出の問題を持っています。
歯科治療に金属を用いること自体、問題視されています。
金属は体内電位を狂わせます。
それにより、菌の繁殖やその他の不利な影響が生じます。

また、治療に用いられる薬は、全て毒といえます。
ずべて、副作用とのバランスを取りながら処方されます。
製薬会社の利益や利権のために各種ワクチン、その他の危険な治療薬が生産されて使用されています。
それにより、毎年のように薬害事件が報告されています。
ネットを活用し注意深く調べてみると「うんざり」させられるでしょう。
輸血の危険について警告している医療ジャーナリストがいます。

それで、輸血を含め医療行為をどう見なし扱うかは個人の判断に任されます。
そこに、宗教組織が出てくる必要はないと思います。

血液問題に関する行政交渉と記者会見 パッチTV


「血を避けなさい」について

使徒 15:19-20, 28-29
19 ですから,わたしの決定は,諸国民から神に転じて来る人々を煩わさず,20 ただ,偶像によって汚された物と淫行と絞め殺されたものとを避けるよう彼らに書き送ることです。
28 というのは,聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。29 すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物とと絞め殺されたものと淫行を避けていることです。これらのものから注意深く身を守っていれば,あなた方は栄えるでしょう。健やかにお過ごしください」。

ここで、「血」と「淫行、偶像崇拝」に多少の違いがあると思います。
モーセの十戒には、「淫行、偶像崇拝」は含まれていますが、「血」についての言及はありません。
また、啓示の書は永遠の命の祝福を得られないものについて述べていますが、そこでも、「淫行、偶像崇拝」を上げていますが、「血」についての言及はありません。

啓示 22:15
15 その外にいるのは,犬,心霊術を行なう者,淫行の者,殺人をする者,偶像を礼拝する者,また,すべて偽りを好んでそれを行ないつづける者である』。

それで、「血を避ける」ことをどう見たらよいでしょうか。

聖書の中で「血」は命や魂の象徴とされています。
そして、宗教的な贖いの儀式に限って「血」は用いられています。
宗教的に「血」は罪の許しと関係していました。
動物の肉を食するとき「血」を食物として扱うことは禁じられていました。
これらの聖書的な「血」の用法は、キリストの贖いの犠牲の「血」に対する認識を築きます。

それは、いわば世俗的に用いることのできないものといえます。
これらの聖書的な背景は、各クリスチャンが「血」をどう扱うかを判断する助けとなります。

命に関わる治療で「血」の一部をどの程度用いるかなどは、宗教組織が決めることではなく、自分で決めるべきでしょう。(蛇にかまれたときの血清の使用とか、その他)

一般的に、血を飲んだり食べたりする民族は少数だと思います。
そのような民族を神がどうご覧になり扱われるのかを、宗教団体や個人が決められないと思います。
それは、神の問題であり、私たちのものではありません。

私たちの問題は、自分がどう「血」を見なし扱うかということです。
この点で、神以外の他人に裁かれる理由はないと思います。

ローマ 14:4
4 . . . その人が立つも倒れるも,それはその主人に対してのことなのです。実際,その人は立つようにされるでしょう。エホバはその人を立たせることができるからです。

同じことが、淫行や偶像崇拝、その他の悪行についてもいえます。
わたしたちを、裁く方は、宗教団体や単なる人間ではなく神(及びキリスト)だからです。

ものみの塔協会の司法制度の支配

ものみの塔協会の司法制度は、クリスチャンの自由を逸脱していると思います。
審理委員会や排斥や組織への復帰などは聖書的な根拠がありません。
ものみの塔協会の資格も能力もない雇われ牧者たちによる見せかけの権威の誇示に過ぎません。

コリント第一 4:4-5
4 わたし自身,責められるようなことは何も意識しないからです。しかしそれによって,わたしは義にかなっていると証明されているわけではありません。わたしを調べる方は主なのです。5 それゆえ,定めの時以前に,つまり主が来られるまでは,何事も裁いてはなりません。[主]は,闇の隠れた事柄を明るみに出し,また心の計り事を明らかにされます。その時,人は各自神からの称賛を受けるのです。

それらの無能で何の役にも立たない司法制度や、雇われ裁き人たちは神に言い開きを求められでしょう。

聖書を信じる者として、わたしは「血を避けるように」との助言を軽く見てはいません。
それが何を意味するか内心の疑問はありません。
とはいえ、わたしの確信を他の信者の基準にするつもりはありません。

ものみの塔インチキ「神の代理店」は、想像上の神から与えれた権威を誇示し、この問題で基準を作り、それを守るように世界中の他の信者に要求し、ものみの塔の勅令を守るかどうかによって信者の神への信仰を裁くことまで行います。

全く馬鹿げている点は、ものみの塔の統治体の無能な頭が思いついた基準が数年ごとに変わることです。
それによって、過去に排斥された人がいたり、これから排斥される人が出てきます。
彼らの普遍性のない、「現時点での真理」により人生を振り回される盲従のJWたちを哀れに思います。

横暴な「ものみの塔」も、また主体性を失った(マインドコントロールの結果クリスチャンの自由を放棄した)哀れなJWたちも何か間違っていませんかね。

使徒パウロは復活のキリストから直接任命を受けた人でした。
しかし、彼は自分が他の信者の信仰の主人ではないと述べています。
また、独自の信条で他の信者を支配しようとした偽教師たちにおもねることはありませんでした。
彼は、クリスチャンの自由のために戦いました。
彼は、すべてのことを確かめるように勧め、自分の信仰でしっかり立つように他の信者を励ましています。

そこには、ものみの塔協会とエホバの証人たち、つまり宗教権威と平信徒というような関係は存在しません。

コリント第二 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。

ガラテア 2:4-5
4 むしろ,それはこっそり連れ込まれた偽兄弟たちによるのです。その人々は,わたしたちがキリスト・イエスと結ばれて持っている自由をうかがうために忍び込んで来たのであり,わたしたちを完全に奴隷にしようとしているのです― 5 そのような人たちに対してわたしたちは屈服して譲歩したりはしませんでした。そうです,一時といえどもです。それは,良いたよりの真理が引き続きあなた方のもとにとどまるようにするためでした。

パウロは、クリスチャンたちがユダヤ教の体制から自由にされた点を論じ、次のように結んでいます。

ガラテア 5:1
1 キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい

つまり、キリスト教は宗教支配者と平信徒という関係ではありません。

ところが、ものみの塔エホバの証人、また多くのキリスト教会は、未だに宗教権威と平信徒スタイルで機能しています。これは真のキリスト教ではありません。

コリント第一 7:23
23 あなた方は代価をもって買われたのです。もう人間の奴隷となってはなりません

マタイ 23:8-10
8 しかしあなた方は,ラビ(統治体)と呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。9 また,地上のだれをも父(統治体)と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。10 また,『指導者』(統治体)と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです

見える目、聞く耳のあるJWの皆さん、自らの逸脱に気づいてください。

ものみの塔の横暴な振る舞い

ものみの塔の度重なる見解の変更と、他の信者の信仰を支配しようとする横暴な振る舞いについて解説します。

基本的にJWは、赤血球、白血球、血漿、血小板のような血の主要成分や全血は受け入れません。
しかし、血清を含め血液が作り出す成分を医療目的で用いるかどうかは個人で決めることができます。

そこで話が終われば良いのに、ものみの塔は「これは良い」とか「これは良くない」とかさらに細かく決めて公表し、その基準に基づいて排斥など人を裁くことまで行いました。

行き過ぎと思いませんか。

また、ものみの塔協会により「変更される見解」についていくために、JWは不要で余計な勉強を強いられます。本質を見失って、協会の最新情報に精通していることが信仰の証明であるかのように錯覚し喜んだり、それによって他の人を裁いたりします。

加えて、協会はまるでJWの信仰の主人でもあるかのように輸血拒否カードをJWに携帯させたり、協会の準備した輸血拒否宣言書を提出させたりしました。

このようなやり方に疑問を抱いたことがないなら、あなたは完全に協会の奴隷です。
このような組織第一印象派的なアプローチは真のクリスチャンのものでしょうか。

さらに悪いことに、この血に対する決定が協会からのものであるとの印象を他の人に与えないように、「これは、聖書に基づくわたしの信仰です。」と言いなさいと、協会はJWに指示しています。

本当に聖書に基づく個人的な信仰の表明であれば、他のだれからも指示される必要はないでしょう。
協会がしていることは、極めて偽善的です。

血についてもっと本質的なことを考える。

食べ物は、血となり肉となります。
栄養は血を経て肉となります。
飢餓状態であれば、体は自分の肉を消費(つまり食べる)していきます。
また出血があれば、体が失われた血を補います。
つまり肉が血に戻ります。

何が言いたいのでしょうか。
肉は血の生成物といえます。
神は肉を食べることを許しています。

では、動物から取られる血清にしても、他の血液生成物にしても食べることができるということではありませんか。

また自分の肉は自分の血に戻ることができます。
自分の血を輸血するすることに何の問題がありますか。

わたしには個人的なことにしか見えません。
これほど単純なことを、複雑にしているのは誰ですか。
各クリスチャンの信仰や理解力を統制しようとしているのは誰ですか。
聖書に明確に述べられていないのに、なぜそのようなことが必要なのでしょうか。

かって、ものみの塔協会は現在許可されている血液生成物を禁じていたときがありました。
そして、それによって子供も含め何人かが忠誠のうちに命を落としました。

しかし、ものみの塔協会は過去の誤りによりどれほどの人が不必要に命を落としたのか把握していません。なぜなら、それらの指示が、尋ねてきたJWに電話により口頭でなされ、その正確な記録をとっていなかったからです。

その後、見解を変更する際、これまでどおり過去の過ちについての言及やお詫びは一切ありませんでした。

いつでも、「増しゆく光」の名の下に命を左右する解釈の変更が無責任になされます。

では、無駄に命を落としたJWたちについてどう見たらよいでしょうか。
それは、不必要な死であったとはいえ誠実な信仰の表明だったのでしょう。
とはいえ、誰に対する信仰ですか、本当に神に対するものですか、それとも「ものみの塔協会」に対するものですか。
信仰の対象を誤ることは、その人にとって損失となるでしょう。

ものみの塔に全面的に依存することの危険性を軽く見るべきではありません。

ものみの塔が行っていることは、パリサイ人が行っていたことと全く同じです。

マタイ 23:23-24
23 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は,はっか・いのんど・クミンの十分の一を納めながら,律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです。これらこそ行なうべきことだったのです。もっとも,それら他方の事柄も無視すべきではありません。24 盲目の案内人,ぶよは濾し取りながら,らくだを呑み込む者たちよ

マタイ 12:7
7 しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう

もし、ものみの塔協会が本質を理解しているなら、信者に不必要な殉教を強要しなかったでしょう。
ものみの塔の指導者たちは、イエスの時代の宗教指導者たちの子孫です。

おまけ

血液製剤の危険性については、それらが殺菌のために放射線処理を受けているので発がん性が高まるといわれています。

医療ジャーナリストの船瀬さんや、内海医師の警告は考慮に値すると思います。
輸血や抗がん剤で助かっている人もいますし、害を被っている人もいます。
統計的には、害を被っている人が多いでしょう。

生命力の強い人は100歳までタバコを吸い続けて肺の中が真っ黒になっていても元気でいます。
各自は自分自身でよく調べ内心に疑問のない決定をすべきと思います。

ものみの塔協会のような宗教組織の権威に単に盲従することが神への忠誠ではありません。

「血」の問題の「ものみの塔協会」の無責任な扱いは、レイモンド・フランズの「In Search Of Christian Freedom」の9章「Blood and Life, Law and Love」に詳しく書かれていますので参考になさって下さい。

現代のパリサイ人への糾弾

自分たちの間違った解釈で既に数万人が不必要な殉教の死を遂げています。
事実を知った何人かは、訴訟を起こしています。

ものみの塔は、それら犠牲になった人々に、「それはその時におけるあなたの信仰であり、協会とは関係がない。」と主張しています。

協会は、JWの信条に深く関わっておきながら、JWに「協会が言っているから輸血を避けます。」みたいな印象を与えないように、「聖書によって培われた自分の信仰で輸血を避けます。」と言いなさいと、わざわざ念押しすらしています。

輸血に限らず、一事が万事すべてこのパターンです。
そして、不都合が生じると、「それは、あなたの個人的な信仰でしょう。」と言い放ち、決して責任を負うことをしません。

それで、ものみの塔雇われ長老たち、またマイコンロボットたちを再度糾弾します。

マタイ 23:33-35
33 「蛇よ,まむしらの子孫よ,どうしてあなた方はゲヘナの裁きを逃れられるでしょうか。34 このゆえに,わたしは今,預言者と賢い者と公に教え諭す者たちをあなた方のところに遣わします。あなた方はそのうちのある者を殺して杭につけ,ある者を会堂でむち打ち,都市から都市へと迫害するでしょう。35 こうして,義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。

ものみの塔雇われ長老たち、またマイコンロボットたちは、外部からの道理にかなったものの見方や助言を一切聞きません。Newsで報道されているJWの悪行についても、一切責任を感じません。

また、自らの気ままな解釈により命を失った多くのJWの血(輸血やマラウィにおける中立の問題)について無頓着です。

ものみの塔の気ままな聖書解釈による全ての殉教者の血が、やがて「も塔」に臨むでしょう。

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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