臨在 (Paruousia)

2015/07/03

JW 教理 預言

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臨在か到来か

臨在 [Parousia] について、ものみの塔協会は、ギリシャ語のパルーシア (Parousia) を臨在と翻訳してイエスの目に見えない存在、居ること、を強調しています。

この概念の理解は簡単ではありませんよね。
この言葉は素直に理解できる、または分かるものでないため、また預言の趣旨と合わないために長い説明を要します。

つまり何か間違っているみたいですね。

パルーシアは、臨在 (presence) と訳すより、むしろ出現 (appearance)、または到着 (arrival)、 到来 (coming) と訳す方が適切です。

ストロングのコンコーダンスにもその訳がでています。

では、終わりの預言に関する聖書的な背景を考えて見ましょう。

まずマタイはマタイの書をギリシャ語で書いてはいません。
マタイの書はアラム語でかかれ、西暦2世紀にゾバ (Zorba) によりギリシャ語に翻訳されています。その際に珍しいパルーシア (Parousia) というギリシャ語が導入された形跡が明らかになっています。

マルコとルカの書は最初からギリシャ語で書かれましたが、オリーブ山での弟子たちの質問に関する記録にはパルーシアは用いられていません。

また、当時のイエスの弟子たちの関心事は遠い将来のキリストの目に見えない臨在ではなく、当面の眼下のエルサレムの神殿についてでした。

しかも彼らの思いには天の王国の概念すらなくイエスが地上に王国を回復することを期待していました。使徒 1:6 で復活したイエスに「今この時期にイスラエルに王国を回復するのですか」と尋ねているとおりです。

それで、彼らの思いに、将来のキリストの目に見えない臨在の概念はありませんでした。
それで弟子たちの質問に対するイエスの直接の答えは、臨在ではなく眼下に見えるエルサレムの神殿の滅びに関わるものでした。

マタイの記録を、マルコとルカの記録と比較してみましょう。

マタイ 24:3
[イエス]がオリーブ山の上で座っておられたところ,弟子たちが自分たちだけで近づいて来て,こう言った。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。

マルコ 13:4
「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」

ルカ 21:7
そこで彼らは質問して言った,「師よ,そのようなことは実際にはいつあるのでしょうか。また,そのようなことが起きるように定まった時のしるしには何がありますか」

アラム語で書かれて後でゾバ (Zorba) によりギリシャ語に翻訳されたマタイの書だけが「パルーシア」 (Parousia) という言葉を用いています。最初からギリシャ語で書かれたマルコやルカの記述に、ギリシャ語のパルーシアが存在しないことは、マタイの書へのこの珍しいことばの追加の疑いを生じさせます。

マタイの記録からパルーシアを取除くと、マタイの記録はマルコやルカの記録と調和が取れたものとなります。

そしてオリーブ山での弟子たちの質問が、遠い将来のキリストの再臨、又は到来についてではなく、当面のエルサレムの神殿の滅びに関するものであったことがより一層明確になります。

次にイエスの答えについて見てみましょう。

マタイの24章では、4-28節までは当面のエルサレムの滅びについての物事の進展が預言されています。

29節以降は、遠い将来のキリストの出現 (appearance)、 到来 (arrival, coming)、再来 (return) の預言が記録されています。

マルコ 13章では、7-23節までがエルサレムの滅びで、24節以降がキリストの再来 (return) についての記録です。

ルカ 21章では、8-24節までがエルサレムの滅びで、25節以降がキリストの再来 (return) についての記録です。

ここで、再びキリストの到来 (coming)、又は再来 (return) についての記録が始まる節を比べてみると、マタイの24章の記録に「すぐ」 (immediately) という表現が加筆されているように見られます。

マタイ 24:9
「それらの日の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月はその光を放たず,星は天から落ち,天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう。

マルコ 13:24
「しかしその日,その患難ののちに,太陽は暗くなり,月はその光を放たず,

ルカ 21:25
「また,太陽と月と星にしるしがあり,地上では,海のとどろきと[その]動揺のゆえに逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう。

上記のとおり終わりの日の預言は、以下の2つのパートから成り立っています。

① エルサレムの滅び  ユダヤ教の事物の体制の滅び、イエスの使徒たちの世代内に到来した
② サタンの事物の体制の滅び 将来のキリストの再来 (return)、到来 (arrival)、出現 (appearance) による

そしてキリストの再来 (return)、又は到来 (coming, arrival) はまだ生じていません。

キリストの臨在 (presence) という考え方は聖書の他の記録と調和しません。

ものみの塔協会は、キリストが 1914年から再臨、臨在 (presence) しておられ、やがて再来、又は裁きのために来る (coming) と教えています。

その教えは、キリストが再臨、臨在の始まりと終わりに2回到来することを意味しますが、そのようなキリストの2回の到来を支持する聖書的な根拠を欠いています。

「最初の到来は天で目に見えない様でなされ、2回目は天から見える顕現となる」という「も協会」の教えを裏付ける聖書的な根拠はありません。

むしろ聖書はキリストの到来 (coming, arrival, appearance, return) を一貫して教えています。

それで、新世界訳聖書で再臨、臨在と訳されている言葉を「再来」、又は「到来」、「出現」と置換えて読むなら聖書の意味を容易に汲み取ることができます。

キリストの再来 (return) はまだ生じておらず、これから到来 (coming) するでしょう。
そしてキリストの再来は主の日 (Lord's Day) を意味し、サタンの体制に裁きと終わりをもたらすでしょう。

1914年は聖書的に何の意味もない年に過ぎません。

キリストご自身が述べているように、年代計算でキリストの到来 (coming) を知ることなどあり得ないことです。

マタイ 24:36
「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]

終わりの日に関するイエスの預言について

イエスは、ユダヤ教の事物の体制の終わりと、サタンの事物の体制の終わりについてオリーブ山で弟子たちに語っています。

ユダヤ教の事物の体制の終わりを特徴付ける出来事はローマ軍による西暦70年のエルサレムの滅びです。

他方サタンの事物の体制に終わりをもたらすのはキリストの再来 (return)* です。

* ものみの塔協会は臨在 (presence) を用いて終わりの日の期間の始まりと終わりにイエスが来ることを教えています。始めの到来は見えない様で、終わりの時はハルマゲドンの時に見える様で来ると述べています。その終わりの日は1914年に始まり、ハルマゲドンまでの1世代は、地上の楽園で生きるクラスを集める時と教えて全世界で800万人近くの信者を獲得しています。

その教えは、ものみの塔協会の世界的な拡大に貢献しましたが、聖書の教えではありません。

それで、西暦1世紀当時のキリストの弟子たちは、エルサレムの滅びと、キリストの再来 (return) によってもたらされる終わりを意識して活動しました。

エルサレムの滅びについて言えばその規模はひとつの地域に限られており、関係する人もユダヤ人とユダヤ教に改宗した人々でした。それらのユダヤ教に関わる人々が年に数回エルサレムで行なわれる祭りに参加する義務を負っており、彼らだけが自らの命のためにイエスの預言的な警告に従って行動する必要がありました。イエスは、エルサレムが野営をはった軍隊により先のとがった杭により囲まれたなら、その滅びの近さを知りエルサレムから出るように預言的な警告を与えています。

エルサレムを訪れる必要ない異邦人にとってその警告は意味を持たなかったでしょう。しかし、異邦人のクリスチャンたちも、キリストの再来 (return) によるサタンの体制の終わりの預言により、やはり終わりを意識して活動していたはずです。

西暦56年ごろパウロはローマ人への手紙の中で、クリスチャンの信仰が世界中で語られていると書いています。

ローマ 1:8
8 . . . あなた方の信仰のことが世界じゅうで語られているからです。

それで、キリストの再来 (return)、または帰還 (coming back) のときの世の終わり、または裁きの音信は当時のローマ世界の全域で知られていました。

それで、エルサレムの滅びと、世界の滅びの音信を当時の人々は聞いたことになります。
そしてエルサレムの滅びはユダヤ教に関わる人々に対する警告となりました。
エルサレムの滅びも、世界の滅びも、ある意味で、その音信を宣べ伝えたキリストの弟子たちの世代のうちに来ると見なすことができると思います。

エルサレムの滅びについて

まず、エルサレムの滅びは、イエスの伝道により、「この世代に、預言者たちの血の責任が問われる」と言われていました。

マタイ 23:35-36
35 こうして,義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。36 あなた方に真実に言いますが,これらのことすべてはこの世代に臨むでしょう。

ルカ 11:50-51
50 こうして,世の基が置かれて以来流されたすべての預言者の血がこの世代に対して要求されるのである。51 アベルの血から,祭壇と家との間で殺されたゼカリヤの血に至るまでが』。そうです,あなた方に言いますが,それはこの世代に対して要求されるのです。

そして、上記の預言的警告のとおり弟子たちの世代のうちに、西暦70年にエルサレムはローマ軍により滅ぼされました。

キリストの再来 (return) について

また、キリストの再来 (return) もひとつの世代と関わって生じることが述べられています。

マルコ 8:38
38 だれでも,この罪深い姦淫の世代にあってわたしとわたしの言葉を恥じるようになる者は,人の子も,聖なるみ使いたちと共に自分の父の栄光のうちに到来 (coming) する時,その者を恥じるのです」。

キリストの再来 (return) についてマタイ 16:27 は、こう述べています。

マタイ 16:27
27 人の子は,自分の使いたちを伴って父の栄光のうちに到来 (coming) することに定まっており,その時,各々にその振る舞いに応じて返報するのです。

この栄光のうちのに到来するキリストの再来 (return) は、エルサレムの滅びとは別のものです。

イエスは、上記のマタイ 16:27 の後にペテロとヤコブとヨハネを伴って山に行きそこで変貌し、父の栄光のうちに到来する様をそれら 3人の使徒たちに示されました。

マタイ 17:
1 六日後,イエスはペテロとヤコブおよびその兄弟ヨハネを伴い,彼らだけを高大な山の中に連れて来られた。2 そして彼らの前で変ぼうされ,その顔は太陽のように輝き,その外衣は光のようにまばゆくなった。

その時のことを後日ペテロは、西暦64年ごろペテロ第二 1:16 でこう述べています。

ペテロ第二 1:16
16 そうです,わたしたちが,わたしたちの主イエス・キリストの力と再来 (return) についてあなた方に知らせたのは,巧みに考え出された作り話によったのではなく,その荘厳さの目撃証人となったことによるのです。

この聖句から、何が分かりますか。
キリストの再来 (return) は、キリストの変貌によって示されているような荘厳なディスプレーを伴うことが分かります。

それは、天から示される再来 (return) の顕現であり、各々に対する返報のときなのです。
ですから、キリストの再来 (return) は、ものみの塔の説明のような、目に見えない何の顕現も伴わない話だけのものではありません。

ものみの塔の教えは、ペテロ第二 1:16 の書かれているように、ネブカドネザルの7つの時の預言の独自の解釈に基づく「巧みに考え出された作り話」に当ります。

西暦1世紀のクリスチャンたちは、そのキリストの再来 (return) が自分たちの世代のうちに起きることを意識して生活していたということです。

ですから、西暦 51年ごろテサロニケ第二 2:1-2 にあるような助言がなされています。

テサロニケ第二 2:1-2
1 しかし,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの再来 (return) ,またわたしたちがそのもとに集められることに関して,あなた方にお願いします。2 主の日が来ている (coming) という趣旨の霊感の表現や口伝えの音信によって,またわたしたちから出たかのような手紙によって,すぐに動揺して理性を失ったり,興奮したりすることのないようにしてください。

イエスの弟子たちにとって、このキリストの再来 (return) は、ある意味で彼らの世代のうちに到来すると見なすことができます。

まず以下の2つの点を思いに留めてください。
  1. 一世代は誕生から死にいたるまでの期間をさすこと。(ここでの仮定)
  2. 死は存在の消滅で無意識であり、死者は時間の経過を意識できないこと。(事実)


西暦1世紀から今日に至るどの時代のクリスチャンも、キリストの再来 (return) の際に生き残るためのクリスチャン人格の形成の期間は、自らの死までか、または生きてキリストの再来 (return) に直面するまでかの、いずれにしても自分が生きている間の1世代しかありません。

しかもキリストの再来 (return) がいつ始まるかは誰にも分からないわけですから、それが自分の生きているうちに来る可能性は、いつの時代のクリスチャンにもあることになります。

また死は、死者にとって時間のワープのようなものですから、いつの時代においても死んだら、いわば次の瞬間はキリストの到来 (coming) に至っていることになります。

それで、いつの時代のクリスチャンにとってもキリストの再来 (return) は遅くてもその人の1世代のうちにに来ると見なすことができます。

キリストの再来 (return) は、裁きのときであり、各々が、良いものでも、悪いものでも自分の行いの返報を受けるときです。
それで、どの時代のクリスチャンも良い返報を受けるための準備の期間はその人の生涯つまり、1世代しかありません。

ペテロ第二 3:11-12 の助言に従いクリスチャン人格を培う期間は長くても1世代しかないのです。

ペテロ第二 3:11-12
11 これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,12 主の日の到来 (coming) を待ち,[それを]しっかりと思いに留める者となるべきではありませんか。その[日]に天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです。

どの時代のクリスチャンンにとっても、キリストの再来(return)は自分が生きているうちに始まるかもしれませんし、何年も後になるかもしれないものなのです。仮にキリストの再来 (return) が自分が死んでから何百年も後であるとしても、死そのものは、時間の経過を意識できませんので、死後は直ちにキリストの到来に至ることになります。それで、いつの時代のクリスチャンも、終わりは一世代のうちに来ると見なすことができます。自分の生きているうちか、遅くとも自分が死ぬときにその裁きがあると見なせます。

ヘブライ 9:27
27 そして,人がただ一度かぎり死に,そののち裁き[を受けること]が定め置かれているように,

死は、無意識の死者のとって時間のワープであり直ちにキリストの再来 (return) の裁きに至ります。

それで、いつの時代のクリスチャンにも上記のペテロの助言が当てはまることになります。
私たちが信仰のうちに神の恵みを得るクリスチャンン人格を培うための期間は生きている間に限られています。

誰にとっても言えることですが、クリスチャンにとっても時間はとても貴重で人生のうちの残されている時間を有効に用いるように励まされています。

エフェソス 5:15-17
15 ですからあなた方は,自分の歩き方をしっかり見守って,それが賢くない者ではなく賢い者の[歩き方]であるようにし,16 自分のために,よい時を買い取りなさい。[今は]邪悪な時代だからです。17 それゆえ,もはや道理をわきまえない者となってはなりません。むしろ,何が主のご意志であるかを見分けてゆきなさい

フィリピ 1:10
10 それは,あなた方がより重要な事柄を見きわめるようになり,こうして,キリストの日に至るまできずなく,他の人をつまずかせることなく,11また,イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光また賛美となるためです。

クリスチャンは 自分の世代のうちにキリストが戻られることを意識して1度限りの生涯を大切に生きます。人は死ぬと時間の経過を意識することなくキリストの到来に至ります。それで、どの時代のクリスチャンも自分の世代(一生)のうちにキリストに会うことを期待して前途の希望を確実にする生き方を追い求めます。

テモテ第二 4:6-8
6 わたしはすでに飲み物の捧げ物のように注ぎ出されているのです。わたしの解き放たれる定めの時は目前に迫っているからです。7 わたしは(パウロは生涯をかけて、つまりパウロ自身の1世代に)戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り,信仰を守り通しました。8 今から後,義の冠がわたしのために定め置かれています。それは,義なる審判者である主が,かの日(キリストの再来の日)に報いとしてわたしに与えてくださるものです。しかし,わたしだけにではなく,その顕現を愛してきたすべての人に[与えてくださるのです]。

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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