ニサンの14日

2016/03/21 1

主の晩餐

t f B! P L

聖書のニサンの14日はどのように特定されるのでしょうか。

考えてみましょう。

フラットアースの上空を、
太陽は、24hで1周し、
月は、23h50m28s、
星座は、23h 53m4sで1周します。

星空は地の円を1周する時間が4分短いので、24hで4分だけ(角度では1°だけ)余分に回ることになり、24hの1日で1°ずつ先へ進みます。6ヶ月で180°進みますから星座は6ヶ月ごとに反対側に移動することになります。星座が元の位置に戻る周期は約365日と1/4となります。

太陽が北回帰線から南回帰線までくだり、再び北回帰線にもどる周期は星座の1周期と同じとなり、季節と星座がシンクロします。

月は、
新月(朔)から三日月、半月(上弦)とふくらみ満月(望)を迎え、以降次第に欠けはじめ半月(下弦)となり、さらに欠け再び新月(朔)を迎えます。この新月から次の新月までの満ち欠けの周期を朔望月と呼び、その周期は約29日と1/2です。

それで月は朔望月周期を1年間に約12.4回繰り返します。
概算で、365 ÷ 29 = 12.5 です。

ユダヤ人の暦は、月齢でひと月を29、および30日としています。
また1年を12か月、または13か月とします。

とされていました。
古代イスラエルでは、月の始まりはエルサレムで最初に見える三日月を確認して決定された。その見える三日月が新月とされていました。古代イスラエルにおいて新月とは最初に観察される三日月(月齢1)のことです。(これは、一般の新月の定義と異なります。一般の新月は月齢0の見えない月の状態のことです。)

個別の2人の信頼のおける目撃証人によりエルサレムで最初に見える三日月の現象(月齢1)がサンヘドリンに報告され、サンヘドリンがロシュ・コデシュ(rosh chodesh)、月の始めを宣言し、人々に伝えていました。

ニサンの14日とは、ニサンの月の月齢が14のときとなります。
イエスの時代のユダヤ人は、月の朔望周期を基準に生活していました。

神のメシアを殺害したユダヤ人は、西暦70年のエルサレム破壊によって世界中に散らされ、エルサレム上空に現れる新月(最初の三日月)を見ることができなくなりました。また、サンヒドリンも消滅したため、世界中に散らばったユダヤ人は聖書の月と祭日を特定することができなくなり、律法契約の要件を満たすことができなくなりました。

西暦33年のイエス・キリストの罪のない犠牲の死によって、神とイスラエル人との間の律法契約は廃止され、神と全人類との間の新しい契約が始まりました!月や祝祭日に関する律法契約の要求は廃止されたので、誰も廃止された律法契約の要求を満たす必要はなく、そのために裁かれる必要もなくなりました。

とはいえ、神のメシア、イエス・キリストを殺し、紀元70年の神の裁きによって全地に散らされた背教のユダヤ人たちは、ユダヤ教を捨てて、イエス・キリストを受け入れ、クリスチャンになりませんでした。

背教のユダヤ人たちは、廃止された律法契約の月や祝祭を守ることを、いまだに神の要求と考えています。4世紀のユダヤの長老ヒレル (Hillel) は、月齢を数学的に計算することによってユダヤ暦を普及させました。しかし、ヒレルのユダヤ暦は聖書本来の月初めの特定方法ではないため、ズレが生じます。今日、世界中のユダヤ人は、聖書本来の日付の特定方法を復元せず、4世紀に考案されたヒレルのユダヤ暦を使用しています。ヒレルの暦は、現在広く使われているローマ・カトリックのグレゴリオ暦と同じで、新月を月齢0の見えない月と見なしています。

ユダヤ暦やグレゴリオ暦では、目に見えない新月(月齢0)は1~3日続き、その後、光り輝く三日月(月齢1)が現れ、月齢15の満月に向かって光が満ちて行きます。しかし、聖書の新月の本来の意味は、光のない目に見えない月(月齢0)ではなく、最初に目に見える輝く三日月(月齢1)のことです。

ですから、月の始まりは、目に見えない新月(月齢0)ではなく、目に見える最初の三日月(月齢1)からとなります。今日の月齢1は聖書の新月です。

■ ニサン14日は、ニサン月の14日で、月齢1の三日月が見える聖書の新月(月齢1)から数えます。

ニサンの月は、春分に一番近い新月(月齢1)から始まります。2-3年に一度訪れる「うるう年」のときは、春分に一番近い新月から「ひと月遅れの新月」から始まります。

今日のユダヤ暦は、新月を月齢0の光のない月としているため、聖書の本来の月の初めからズレています。 今日のユダヤ暦は、紀元4世紀のユダヤ人ヒレルの計算に基づいています。

うるう年

星座と太陽の周期は、365.25日
月の朔望周期は、29.45日

1年を12か月とすると、ひと月の日数は、
365.25 ÷ 12 = 30.4376 . . . 約30.4日

ひと月の日数と月の朔望周期との差は、
30.4 - 29.45 = 0.95

1年は12か月なので、0.95日を12倍すると、
0.95 × 12 = 11.4  1年間で約11日、月の朔望周期と星座/太陽の周期にズレが生じます。

そのズレは3年では、
11 × 3 = 33 となり約1月のズレとなります。

星座と太陽の周期の1年は、365.25日で、
月の朔望周期は、29.45日なので、
365.25 ÷ 29.45 = 12.4  で1年は、12.4か月となります。

これを調整をせずに放置すると、星座/太陽周期と月の朔望周期のズレは、10年では330日となり約1年ものズレとなります。

1年を12か月とすると、月の朔望周期に基づくニサンの月は毎年11日ずつ早く始まることになり、ニサンの月が春から冬、秋、夏、一巡りして再び春に戻る現象が生じます。

ですから、1年の月齢と季節をシンクロさせるために、うるう月を入れる必要があるわけです。

イスラエル人は2年か3年に一度、アダル I (Adar I)と称する月を追加し1年を13か月とします。古代のイスラエル人たちは計算によらず季節を観察してズレを調整していました。


うるう年のサイクルは、
長音階サイクルとなります。
全音は、12か月の普通年が2つと13か月の「うるう年」を1つ含みます。
半音は、12か月の普通年が1つと13か月の「うるう年」を1つ含みます。

例えば、
普通の年 うるう年(赤) うるう年(赤)
2017 2018 2019
2020 2021 2022
2023 2024
2025 2026 2027
2028 2029 2030
2031 2032 2033
2034 2035



主の記念式は律法契約の過ぎ越しのように守られるべきかについて

西暦前1943年のニサンの14日にアブラハムは神の導きに従ってユーフラテス川を渡り神との契約関係に入りました。

それから、430年後のニサンの14日にアブラハムの子孫のイスラエル人たちは、エジプトの奴隷状態から解放され約束の地に向かい、奇跡的に紅海を渡りアラビアのシナイ山で西暦前1513年に神との契約関係に入りました。

それから、1546年後の西暦33年のニサンの14日にイエスの弟子たちはキリストの死による新し契約に入りました。

ニサンの14日は、
アブラハム契約と、新しい契約が有効となった日です。

アブラハムは神との契約を生涯意識していましたが、ニサンの14日を毎年記念して暮らしませんでした。

新しい契約下のクリスチャンたちは律法契約の要求のようにニサンの14日を守る義務はありません。

クリスチャンギリシャ語聖書にそのような要求はありません。

むしろ、クリスチャンギリシャ語聖書は、律法の儀式上の取り決めや要求は律法の廃止とともになくなったことを強調しています。

それで、律法の規定を細心に守ることにより神に義とされることはもはやはありません。
ですから、イエスはニサンの14日に制定された新しい契約について律法契約のように細かい規定を何一つ設けませんでした。

イエスは、「わたしの記念として行いなさいと」と述べただけです。
1年に1度とか、ユダヤ教の暦に合わせてとかの要求はありません。

聖書に書かれていないことを要求する人は義にすぎる人でしょう。

ニサンの14日は、毎年星座/太陽周期から11日ズレて生じます。
だれも「ぴったり一巡りしたニサンの14日」にイエスの死を記念していません。

ですから、ユダヤ暦に合わせてイエスの死を記念すべきだとの主張は無意味といえます。

ニサン14日は毎年、黄道と太陽の周期より11日早くやって来ます。つまり、ニサン14日は毎年季節外れに始まります。うるう年には、ニサンの月が1ヶ月早く始まるので、ニサンの月と実際の季節を一致させるために「アダルⅠ」と呼ばれる「うるう月」が追加されます。

今年 (2024) は「うるう年」であるため、今年のニサンは例年より1ヶ月早い冬季に始まりました。今年の春分の日は3/21で、春分の日に最も近い新月は3/11なので、例年通りならその日からニサンの月が始まります。しかし、今年は「うるう年」なので、うるう月アダルⅠが加わり、3/11に始まる月はニサンではなくアダルⅠとなります。ものみの塔協会は今年のキリスト記念式を3/24に行いましたので、これは実際にはニサンの14日ではなく、1月早いアダルⅠの14日の記念式となります。

■ 今年 (2024) のニサンの月は3/11の新月(月齢1)からではなく、1ヶ月後の4/10の新月(月齢1)から始まります。それで、今年のニサン14日は4/23(火)となります。



月齢カレンダー
lunar calender

イエスの死はユダヤ暦に従って記念されるべきだという議論は無意味です。 いつキリストの死をパンとぶどう酒を用いて記念するかは各自が自分の置かれた状況で決めればよいことです。

コロサイ 2:16-17
16 ですからあなた方は,食べることや飲むことで,また祭りや新月の習わしや安息日に関して,だれからも裁かれるべきではありません。17 それらの事は来たるべきものの影であって,その実体はキリストに属しているのです

ローマ 14:5-6
5 ある人は,ある日がほかの日に勝ると判断し,別の人は,どの日もほかのすべての日と同じであると判断します。おのおの自分の思いの中で得心していなさい。6 日を守る者は,それを主に対して守ります。また,食べる者は,主に対して食べます。その人は神に感謝をささげるからです。そして,食べない者は,主に対して食べません。それでもその人は神に感謝をささげます。

コリント第一 11:23-26
23 わたしは,自分が主から受けたこと,それをあなた方に伝えたのです。すなわち,主イエスは,渡されようとしていた夜,ひとつのパンを取り,24 感謝をささげてからそれを割き,こう言われました。「これはあなた方のためのわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。25 晩さんをすませた後,杯についても同じようにして,こう言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約を表わしています。それを飲むたびに,わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。26 このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです。

キリストの記念式をいつ行うかについての詳細な指示はクリスチャンギリシャ語聖書中にありません。記念式の日や頻度より大切なことは、キリストの死が意味する救いを記念することです。

聖書に書かれていないことを要求する人は、書かれていることを超えていると言えます。そのような人は義にすぎると思います。

コリント第一 4:6
6 . . . 「書かれている事柄を越えてはならない」という[定め]を学んでもらい,あなた方がそれぞれ一方に付いて他方を退け,思い上がるようなことのないためです。

だれも聖書にない自分の基準で他人を裁くことはできません。

ヤコブ 4:11-12
11 兄弟たち,互いのことを悪く言うのはやめなさい。兄弟のことを悪く言ったり,自分の兄弟を裁いたりする人は,律法を悪く言い,律法を裁いているのです。そして,律法を裁くのであれば,あなたは律法を行なう者ではなく,裁き人です。12 立法者また裁き主である方はひとり,それは救うことも滅ぼすこともできる方です。しかし,[自分の]隣人を裁くあなたは,いったいだれなのですか

マタイ 7:1-2
1 「自分が裁かれないために,[人を]裁くのをやめなさい。2 あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。そして,あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方に量り出すでしょう。

キリストの死の記念式は、キリストの犠牲を思い起こすときとなります。
キリストの犠牲は、選ばれた一部の人々だけのものではありません。
それは、アダムの子たちすべてのためにささげられました。

それは、アブラハム契約に書かれているように地のすべての人々の祝福のためのものですから、キリストを信じるクリスチャンはキリストの犠牲を表すパンとぶどう酒にあずかります。キリストの死が提供する救いにあずかりたい者はだれでも、キリストの犠牲を表すパンとぶどう酒に感謝してあずかることができます。

創世記 22:18
18 そして,あなた(アブラハム)の胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである』」。

ヨハネ 6:51, 53-54
51 わたしは天から下って来た生きたパンです。だれでもこのパンを食べるなら,その人は永久に生きます。そして,本当のことですが,わたしが与えるパンとは,世の命のためのわたしの肉なのです」。
53 そこでイエスは彼らに言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなた方は自分のうちに命を持てません。54 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち,わたしはその人を終わりの日に復活させるでしょう。

マタイ 26:26-28
26 彼らが食事を続けていると,イエスはパンを取り,祝とうを述べてからそれを割き,弟子たちに与えて,こう言われた。「取って,食べなさい。これはわたしの体を表わしています」。27 また,杯を取り,感謝をささげてからそれを彼らに与え,こう言われた。「あなた方はみな,それから飲みなさい。28 これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。

キリストの犠牲を信じるすべてのクリスチャンに、キリストは「食べなさい」また「飲みなさい」と述べてパンとぶどう酒を与えました。

それにもかかわらず、フリーメイソンものみの塔協会は、信者に対する記念式の話のほとんどをキリストの体をわきまえずに「食べたり」「飲んだり」するものは身に裁きを受けるという警告に用います。

ものみの塔を導く霊は神からのものではありません。

加えて、ほとんど誰もパンとぶどう酒にあずからない集まりに未信者をできるだけ多く招き、表象物にあずかる人が注目を引くような記念式としています。

また、大半の信者は表象物にあずかることなく軽く受け渡すだけで記念式の目的を逸し、それよりも人々の注目を集める華やかな衣装で浮き立っています。

これは、キリストが始めた記念式ではありません。

イエスは死の直前にご自分と最も親しかった12人の使徒たちとだけで記念式を行われました。その後一晩中、辱めと侮辱に耐えご自分の命を全人類のために犠牲となさいました。

キリストの記念式は、その意味も分からない人への証言のときでも、浮かれ騒ぐときでもないでしょう。

ものみの塔協会はキリストの記念式を異質なものに変えてしまいました。
ものみの塔協会の主の記念式は自らの義を人に見せるためのイベントであり、信者リクルートのための催事にすぎません。

マタイ 23:5-6
5 すべてその行なう業は人に見せようとしてするのです。彼らは,お守りとして身に着ける[聖句]入れの幅を広げ,[衣の]房べりを大きくしているからです。6 また彼らは晩さんにおいては最も目立つ場所を,そして会堂では正面の座席を好み,7 また市の立つ広場でのあいさつや,人にラビと呼ばれることを[好み]ます。

マタイ 6:1
1 「人に注目されようとして自分の義を人の前で行なうことがないようによく注意しなさい。そうでないと,天におられるあなた方の父のもとであなた方に報いはありません。

➡ キリストの死と復活
➡ 裁きと救い

人気投稿

最新のコメント

プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

もっと読む >>

連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *

QooQ